ナプキンの端

私は、私の恋は今日終わったなと思った。

それは相手を怒らせて呆れさせたから、相手から好かれることはもうないなと思ったからでもあるし、
私の中で受け入れられないものを見てしまったからでもある。


私は自分のつくるものを好きになってくれる人が好きだ。
文章や絵や手紙。

私がファミレスのナプキンの切れ端に描いた落書きを、けなしながらも大事そうに持って帰ってくれた人のことを覚えている。
そういうことをしてくれる人、私が描いたものならファミレスのナプキンだって大事にしてくれるような人が私は好きだ。

二年前に付き合っていたさして好きじゃない彼氏とカフェに行った時も私は落書きしていて。
店を出るときに、その落書きが描かれたナプキンをなんの迷いもなくほかの紙コップとかと一緒にゴミ箱に入れたその人を見て「あっ、ないな」と思った。
こいつ、私のこと好き好き言ってるけどさして好きじゃないじゃん。と思った。


去年私が好きになった人は稀有な人で、カフェで私が描いた絵をカバンに入れて持って帰った。
私はすごく嬉しかった。
私のつくったもの、わたしを本当に好いていてくれてる人なんだと思った。
そういう人はあまりいないけど、やっぱり私のことを本当に好きな人はこういうことをしてくれるんだと、すごく感動した。
冷静で意地悪に見える人がそういう好意をしめしてくれたことがさらに嬉しかった。

その後、私たちは別れたけれどそれでもまだ私は相手が好きで、どこかで相手も私のことを今でも好きでいてくれるんじゃないかと思っていた。

少し前、私は相手の買ったiPadのメモ帳に、青いペンを使って落書きをした。
すごくどうでもいい絵や文字のかたまりで、私のことをどうも思ってない人からしたらどうでもいい、即刻でゴミ箱行きの代物だ。
相手はうざそうにしながらも、その場で私の落書きを消すことはせず保存した。保存されたメモの中には他の人と遊んで描いたであろうものもあった。その中に私の落書きも並んだのだと思った。私は安心していた。

そして今日、相手のiPadのメモ帳を使いながら全く違う話をしているとき、偶然保存フォルダが見えてしまった。
私の青色のメモはそこにもうなかった。
他の人と遊んで描いた落書きはそのまま残っていたのに、私の青いメモはなかった。

衝撃だった。

ああ、もうほんとうに終わったんだなあと思った。
私にとっては終わってないけどこの人の中ではほんとうにもう、私は、私の描いたものは、大事にする対象じゃないんだなと。
わざわざゴミ箱に入れるくらい見たくもないものなんだなと思った。

自分勝手に喚いたり騒いだりした当然の報いなのに、すごくショックだった。
私はもうこの人の大事にしたい人ではないし、この人はもう私の好きな、私のつくるものを好きになってくれる人ではないんだなと。それがすごく悲しかった。

これからの人生で、ナプキンの端の落書きを持ち帰ってくれる相手に出会うことができる気がしない。

代物家電

SNS輪廻をまわりつつあったので解脱!

今日はお気に入りのスイカTシャツを着て出たら表参道で浮きに浮いてつらい!
これから伊勢丹行ってDVD借りて家に帰る気持ちでいるけど、このTシャツで生きていけるのかなあ。

せっかくかわいいTシャツも、着てる人の気持ちが乗っていないと恥ずかしい代物になるので難しいなあと思った次第です

人の本気のたまり場

やっと、ですが、これからララランドを観に行きます、一人で。
分不相応にも、自分に重ねて死にたくなる未来が見えるので、ハンカチを膝に置いて望もうと思います。

ただ、私はたいていいいと言われている映画を観ていつも違和感を感じるめんぉくさいタイプのポケモンなのでどうなんだろー(具体例:風立ちぬを観て胸糞悪くてキレる)
久しぶりの映画、楽しみ。


めちゃめちゃハマったというわけではないけど、部分部分で感じ入る点があり泣いた。

やはり人の本気(監督俳優脚本などなどあらゆる人々の)を目にすると、自然と感じ、考えずにはいられなくなる。
自分に絶対気づきがあるから、映画やら漫画やら授業やら、、人の本気は、よい。

結論いそぎしゅわしゅわマン

自分の好きな人と初めて手をつないだ日、初めてキスした日、初めてセックスした日とかのすごい幸せしゅわわわぁって炭酸に飴が溶けたみたいな気持ちになる瞬間のことを思い出してつらくなってる。

そういうしゅわわわぁも時間が経つと気が抜けて、消えてなくなってく。つらい。

あの日の漫喫とか、新宿の飲み屋とか、カラオケボックスとか、そういうのが今はぶっこわれて、自分にも相手にも何も残ってないのがつらい。
私は彼らがすごく好きだったな。

これからそういう気持ちを味わうことができることなんてまあ、ないんだろうと思う。

まず世界は便利すぎるし、私は結論を急ぎすぎるし、もったいぶらなすぎるし、自分のその瞬間の欲に忠実すぎる。
ドキドキする前にやってる。で、こんなもんか、簡単に手に入るなあと思って終わり。



はたして相手が嫌な理由は、あのしゅわわわぁを味わうチャンスをくれたことよりも大きいことなんだろうか。

とにかく色々つらいな。
私にずっとおあずけをくらわせてくれている相手がこの世界に一人でもいるということが有難い。

まだしゅわわわできるかもしれないという可能性。
結局、可能性に囚われたままの大馬鹿ものか。わたくしは。

眠気に勝てない人@六畳くらい

気をぬくと(というかいつも)携帯をいじって時間を無駄にするので、自分がSNSの輪廻を回っていると気付いた時には、すくなくとも二巡目くらいで気付いてブログを書くことに時間を使ってみたいと思う。


部屋に来た人にはいつも、ものがないと言われる。
たしかにわたしの部屋にはものが少ない。というかまず部屋が狭い。
自分でもどれくらいなのかよくわかってないけど、たぶん六畳か六畳ないくらいなのではないか。

それでも全然不自由なく暮らしてる。

部屋にある家具は、
ベッド(無印の安いやつ)
テーブル(実家にあった使われていない折りたたみのテーブルを持って来た)
丸いテーブル(亡くなったおばあちゃんのお下がり。亡くなった家の片付けを手伝いに行った時に見つけて一目惚れしてゆずっていただいた)
長い棚(本などを置いている)
だけだ。

大きい家具には基本的にこだわりがないけど、小物には結構こだわっている。

うさぎの絵(北村直登さんの作品。伊勢丹で買った)
時計(KINTAさんの作品。益子の陶器市で買った)
カレンダー(障害者施設の人の作品。3331で買った)
うさぎのお面(クリスマスなどの装飾の卸の人から、アッシュペーフランスのマーケットで買った)
キリンの置物(尾道のフリマで買った。もともとキリンマニアの人が持っていたらしい)

等々。

そろそろ眠くなって来たから我が家の紹介を終わる。

言いたかったのは、なにもないけど、そこにあるものにはこだわっている部分があるからその部分に気づいて欲しいな、ということでした。
ちゃんちゃん。

馬鹿みたいだ

なんのために生きてるのかわからない。

なんのためにつらいことしてるのかわからない。

いやな気持ちの連鎖で全部辞めたくなる。

なんで私がこういう気持ちになるんだろう。

世界はおかしいなあ。おかしいことばかりだ。

ちゃんとやればやるほど馬鹿を見るなあ。

全部馬鹿みたいだ。

170116-白洲正子ときもの 感想

習い事で一緒の人がくださった。
会場は松屋銀座8階。会場の出口付近に物販スペースがめっちゃ広くとられていた。

・江戸時代でも蛍光ピンクの糸をつかった着物があって、こんな色のがあったんだー&こういう色出せたんだと思った

白洲正子の着物がいい意味で地味なものが多くて(紺とかベージュ?とかが多い)今までの着物のイメージが変わった。特別なときに着るものではなく普段着として着てたんだということが分かった。

・おしゃれな人っていうのは気張ってなくても派手じゃなくても、なにかいいなと印象に残るような独特さがある人よ、的なことが書いてあってですよね!と思った。

・私はおしゃれとは「形容できなさ」「型にはめられなさ」だと思う。ラベルをつけられないけどその人らしいのが私としてはおしゃれだ。